意志と力(有益)

君はいま夢を見ていないとどうして言えるの

戦前

北朝鮮からのミサイル報道が出た日は原宿から渋谷まで歩いてショッピング。

友人から帽子を買いたいのでついてきてくださいと誘われて、なんでいい歳した男同士で帽子を買いに行かないといけないのか、こんな日に、と思ったけど、まあどうせミサイル落ちたらどこにいても同じなのでせっかくなので渋谷にまで行くことにした。家を出る瞬間はとても嫌な気分、だったけれど。

渋谷はいつにもまして路チューしているカップルが多かったような気がした。戦争という、味わったことのない緊張感、無常感、タナトスを前に、人々の「どうせ死ぬならセックス」という気分が街中を覆いかぶさり、いたるところでがエロスが蔓延していたのではなかろうか。一方のわたしも、指揮官がボタンを押したが最後、命が一瞬で消し飛ぶという可能性を前にし、異常にまで充実した一日を送る。

男同士で買い物をしただけだが、ひとつひとつの風景や言葉が、異様なまでに鮮烈に脳に認識された。かけがえのないきらきらとした日常として。

やはり死が間近に迫ると生がきわたつ。今までどれだけのんべんだらりと生きてきたのかがよーく分かりました。こんな充実した日常が送れるなら、ずっと北朝鮮とアメリカにはチキンレースをやってもらってもよいとさえ思った。終わらない戦前、最高。

その数日後に出張で茨城に行く。会食後、タクシーでホテルに戻っている時、こちらは何も話を振っていないのに、運転手さんが突然こんな話を始めた。

「この近くに自衛隊の基地があるんですけどね、ここに関東の自衛隊が使う武器や銃弾が全部あるみたいで、どうも北朝鮮がねらってるらしいんですよ、ここが落ちれば関東の自衛隊はままならなくなりますからね、それでこの基地には火薬なんかもたくさんありますからミサイルなんかが落ちた日にゃもうこの辺全部燃えますね、終わりですよ、ぜんぶおしまい、みなおしまいですよ」